鼻にピアス、唇にピアス、まぶたにまでピアス。
そういう人を見かけると、私はつい思ってしまう。
「なんでそこにピアスするの?」
「痛くないのかな?」
「邪魔になっていない?」
(余計なお世話ですよね・・・
ハイ、十分わかっております・・・。)
頭では「人それぞれ」とわかっているつもりでも、
心のどこかで
「なんだか受け入れがたい」と感じてしまう自分。
それがファッションなのか、
自己主張なのか、仲間の印なのか、正直わからない。
「イケてる」って何だろう?
カッコいいってこと?
パフォーマンスがすごいってこと?
「ヤバい!」って、
いつから褒め言葉になったんだっけ?
カルチャーがどんどん変化していくなかで、
気づけば私は、
その流れに少しずつ取り残されている気がする。
「変わってる」と思う側の人でもあり、
自分自身が「変われない」側の人に
なりつつもあるのか──
そんな自分に気づいて、
はじめて人の“変”の意味を考えてみたんです。
変わっている人を「理解しなきゃ」
「人はそれぞれなんだよ」
「自分らしさが大事」と思うたびに、
無理に価値観を広げなきゃいけない気がして、
正直ちょっと疲れる。。。
でも同時に、自分の“わからなさ”を
「悪いこと」なのか、いや、
そんな風に思わなくてもいいのかもしれない、
とも感じる。。。
結局、人はみんな、
どこかしら「変わっている」のかな。
その“変”が自分の価値観とズレていると感じた時、
無理に合わせようとするよりも、
「その人にはその人の理由があるのかもしれないな」と、
その人に興味を寄せてみる。
完全に理解はできなくても、
ちょっと受け止めてみようか。
自分と違うだけで“変”じゃないんじゃない?
あれっ⁇自分が変なのか?
みんな違ってたっていいじゃん・・・。
そう考えたら何かわかり合えるのかも。
そのピアス素敵じゃん!
なんて言える自分が出現するかも・・・。
周りの人、すべての人と分かり合えるのは難しいけど、
“偏見”は無くせたらいいな、と思う私でした。